大判例

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大阪高等裁判所 平成3年(行ス)5号 決定

抗告人

甲野一郎

右法定代理人親権者父

甲野太郎

同母

甲野花子

右代理人弁護士

川西譲

足立昌昭

藤原精吾

深草徹

松本隆行

西田雅年

青木佳史

相手方

尼崎市立尼崎高等学校長

木津裕明

右代理人弁護士

大白勝

上谷佳宏

木下卓男

福間則博

幸寺覚

主文

一  本件抗告を棄却する。

二  抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

第一本件抗告の趣旨と理由

一抗告の趣旨

1  原決定を取り消す。

2  相手方が、平成三年三月一九日に、抗告人に対してした尼崎市立尼崎高等学校への入学不許可処分の効力を本案判決確定に至るまで停止する。

二抗告の理由

別紙(一)に記載のとおりである。

三抗告の理由に対する相手方の答弁

別紙(二)に記載のとおりである。

第二当裁判所の判断

一一件記録によれば、次の事実が一応認められる。

(一)  抗告人は、昭和五一年一月九日、尼崎市内で出生したが、昭和五五年五月二四日頃、進行性筋ジストロフィー(デュシェンヌ型)と診断された。

抗告人は、昭和五七年四月に、尼崎市立水堂小学校に入学し、同六三年三月に、同校を卒業し、同年四月に、尼崎市立武庫之荘中学校に入学し、平成三年三月に、同中学校を卒業した。

(二)  抗告人は、尼崎市立尼崎高等学校に入学することを希望し、平成三年二月二三日、所定の必要書類を添付して入学願書を相手方尼崎市立尼崎高等学校長に提出して、入学の出願手続をし、同年三月一五日、学力検査(入学試験)を受けたが、同年三月一九日、相手方は、抗告人に対し、入学不許可の処分(以下、「本件不許可処分」という。)をした。

(三)  本件不許可処分は、平成三年度兵庫県公立高等学校入学者選抜要綱(以下、「要綱」という。)及び要綱第一〇一項の別途指示に従い、相手方を含む八人の関係高等学校長により構成される合否判定委員会の合否判定の結果に基づいて行なわれたものである。

(四)  抗告人にかかる合否判定では、判定資料A(中学校から送付された調査書中、国語等五教科の評定と美術等の四教科の評価を一定割合で総和したもの)及び判定資料C(各高等学校が実施した国語等五教科の学力検査の結果を県教育委員会の定めた方法によって採点したもの)の合計点については、合格ラインに達していた。しかし、判定資料B(中学校から送付された調査書中、各教科の学習の評定以外の諸記録を総合したもの)及びこれに関連して抗告人らから前もって提出された診断書などの記載ならびにその他諸般の事情を総合して判断をした結果、抗告人の身体状況が高等学校の全課程を無事に履修する見通しがないものと判定されて、不合格とされたものである。

二ところで、行政処分の効力の停止は、行政処分の暫定的取消を意味するものではなく、ただその効力の発生を停止するに過ぎないから、処分を遡及的に消滅させる行政処分取消の判決とは異なり、行政処分の効力が停止されても、右行政処分の効力が現実に発生したとして、これを前提にした行為を行うことができなくなるだけで、当該行政処分自体は存在するのであるし、また、行政庁は、行政処分の効力が停止された場合に、改めて、右行政処分を取り消して、執行停止の判断内容に従った新たな行政処分をしなければならない拘束を受けるものでもない。したがって、例えば、大学院在学期間延長不許可処分、旅券発行不許可処分、生活保護開始申請却下処分のようないわゆる申請に対する行政庁の拒否処分については、その効力を停止してみても、申請者(処分の相手方)を、その処分のない状態と同様の状態におくだけで、原則として、申請者(処分の相手方)に何らの法的利益をもたらすものではないから、右拒否処分に対する執行停止の申立ては、申立ての利益を欠き不適法というべきである。本件において、相手方のした抗告人に対する尼崎市立尼崎高等学校への本件入学不許可処分(本件不許可処分)についても、その効力の停止により、本件不許可処分の効力が発生していない状態になるだけであり、相手方が右本件不許可処分を取り消して、入学の許可をすべき義務を負うものではなく、また、相手方が右本件不許可処分を取り消して、入学の許可をしない限り、抗告人が現実に尼崎市立尼崎高等学校に入学をして、授業を受け得る状態になるものではないのであって、抗告人に何ら法的利益をもたらすものではないから、抗告人には、本件不許可処分の効力の停止を求める法的利益はないというべきである。

三もっとも、

1  抗告人は、本件不許可処分が取り消されれば、相手方は、抗告人に対し、本案判決がなされるまでの間、暫定的に入学許可処分を行う義務を負うので、抗告人に右入学許可処分を受け得る地位を回復すると主張するが、前述のように、本件不許可処分の効力を停止してみても、本件不許可処分の取消の判決とは異なり、相手方において、暫定的にしろ、本案判決がなされるまでの間、抗告人に対し、入学許可処分を行う義務を負うものではなく、抗告人において、右入学許可処分を受け得る地位を回復するものではないから、抗告人の右主張は採用できない。

2  また、抗告人は、本件不許可処分の効力が停止された場合には、相手方は、処分庁として、処分が停止されたまま、申請に対する新たな応答をしないで、本件判決がなされるのを待つことは許されないとも主張するが、本件不許可処分の効力が停止されても、相手方において、抗告人の申請に対応する新たな応答をすべき義務のないことは、前記説示のとおりであるから、抗告人の右主張は採用できない。

3  さらに、抗告人は、本件不許可処分により、尼崎市立尼崎高等学校入学不適格の烙印を押され、その全人格を否定されたと同様の扱いに対する悔しさ及び屈辱感、自分の努力が報われない苛立ち、自分の将来に対する絶望感、大人社会一般に対する不信感等、深刻かつ全般的な精神的苦悩を強いられているとし、このような精神的苦痛をなくすために、本件不許可処分の効力の停止により、法的救済が与えられる人格的利益があると主張する。

しかし、前述のとおり、本件不許可処分の効力が停止されても、相手方において、抗告人に対し、尼崎市立尼崎高等学校に入学する許可をする義務を負うものではなく、抗告人は、右入学をし得る法的地位を取得するものでないことは勿論、その可能性を取得するものでもないから、抗告人が、本件不許可処分により、その主張のような精神的苦痛を受けたにしても、本件不許可処分の効力が停止されることにより、抗告人の右精神的苦痛がなくなるものとは到底認め難い。したがって、抗告人の右主張も採用できない。

4  その他、抗告人が種々主張するところは、いずれも、抗告人の独自の見解であって、採用できない。

四以上の理由により、本件不許可処分の効力を停止する利益はないから、抗告人の本件執行停止の申立ては、その利益を欠き不適法として却下すべきであり、また、その他一件記録を精査しても、原決定を違法として取り消すべき事由は認められない。

よって、本件執行停止の申立てを却下した原決定は、相当であって、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官後藤勇 裁判官髙橋史朗 裁判官小原卓雄)

別紙 (一)

一、拒否処分と執行停止

原決定は、いわゆる拒否処分について、本案訴訟で取消判決が確定した場合でも、処分庁はなお他の事由に基づいて改めて不許可処分もできると解され、必ずしも許可処分がなされるわけではないことを認めながらも、行政事件訴訟法三三条二項により、「行政庁は、判決の趣旨に従い、改めて申請に対する処分」をしなければならない旨明記されているので、「処分庁は、改めて申請を待つまでもなく、当然に申請に対して処分をしなければならない義務を負い、しかも、取消判決の拘束力により、その違法とされた理由によって再び拒否処分をすることはできないのであるから、他の理由により拒否処分がなされる可能性があるのはともかく、事実上処分庁による適法な処分が期待できるに止まらず、拒否処分を取り消す判決の拘束力によって、原告は、当該判決で違法とされた処分理由に基づく拒否処分による不利益を免れることができる」のに対し、執行停止決定の効力については、行政事件訴訟法三三条四項で、同条一項を準用するだけで、同条二項を準用していないから、拒否処分の効力が停止されても、処分庁が改めて決定の趣旨に従い、新たな判断をしなければならない義務が生じるわけではなく、この点において取消判決と執行停止決定の効力の決定的な違いであり、拒否処分について、執行停止の申立利益はないと判断している。

しかし、原決定の以上の見解を読んでみても、実質的にみて、取消判決と執行停止決定とで、違法な処分が是正されるか否かについて、決定的な相違があるとは考えられず、形式的にみても、行政事件訴訟法三三条四項が同条一項のみを準用し、同条二項を準用していないことは原判決の指摘するとおりであるが、同条二項の効力は、原判決も指摘するとおり「同条一項の拘束力の一内容」に過ぎないのであるから、右拘束力の内容として、裁判所の執行停止決定があると、許否決定以前の状態に戻って、行政庁はその決定に拘束され、決定の趣旨を尊重し、急遽新たに判断をし直さなければならないことになると解されるのであり(原田尚彦「退去強制に対する仮救済の問題点」ジュリスト四八三号三四頁、杉村敏正編「行政救済法Ⅰ」(有斐閣)三一六・三一七頁)、原決定の判断には誤りがある。

二、入学許可・不許可処分の特殊性と申立の利益

1 原決定は、本件処分につき、「申立人の身体的状況が高等学校の全課程を無事に履修する見込みがないという理由に基づく本件処分が違法であるという主張に全く理由がないわけではない」として、本件処分の違法性を一応認定しながらも、本件処分が違法であってその効力が停止されたとしても、相手方に申立人を合格させるよう強制することはできず、また、入学志願者の地位が回復したことに法的利益を認めることは困難であるとして、結局、申立ての利益が認められないとする。

しかしながら、高等学校への入学許可申請に対する許可・不許可という処分の性質上、及び右処分が平成三年度兵庫県公立高等学校入学者選抜要綱に基づいて行われるという本件処分の具体的事情においては、本件処分が違法であってその効力が停止された場合、相手方は申立人に対し、本案判決がなされるまでの間、暫定的に入学許可処分を行う義務が生じるのであり、申立人はそのような入学許可処分を受け得る地位を回復するのであり、原決定は、本件処分のかような特殊性につき全く検討を行っていない誤りがあり、失当である。

2 入学許可申請に対する許可・不許可処分の性質

(一) 原決定は、本件処分の執行停止があった場合、処分庁は、処分の効力停止の決定に拘束されるものの、行政事件訴訟法によっては、許可処分をする義務はないことはもとより、申請に対して応答する義務さえ負わないことになり、処分庁としては、新たな許可処分をすることも、あるいは処分の効力が停止されたまま本案判決がなされるのをまつことも、いずれも可能であり、そのいずれの態度を取るかはもっぱら処分庁の裁量に属するとする。

しかし、右判旨は不許可処分一般に対する論としては妥当するとしても、本件のような高等学校への入学許可申請に対する処分については、その処分の性質上、妥当しない。

(二) 本件高等学校を含む学校教育法上の学校教育機関においては、毎年一定時期に入学者の募集選抜を行い、入学者を入学年度ごとに学年編成し、学年ごとの年間の教育カリキュラムを編成し、これに基づいて設置者は入学者に対して集団的に教育を行い、入学者もこれに基づいて学習し、一定の教科等の履修により、次年度の教育カリキュラムに進学していくという固有の制度となっている。もちろん、教育は、本来個々の人間の学習と発達の保障を基礎するものではあるが、集団的教育機関である学校においては、年間サイクルの教育カリキュラムの中での教育が制度的本質とならざるをえない。

したがって、申立人が相手方に対してなした平成三年度の入学許可申請とは、単に本件高校への在学を求める行為ではなく、本件高校の平成三年度の第一学年として、第一学年に予定される年間教育カリキュラムに従って、同学年に属する他の生徒とともに学習することの許可を求める申請なのである。

そうであるから、本件高校の入学許可申請の受付は、年度毎に一回行われ、この申請に対する処分庁の応答も、学年の年度カリキュラムが始まる以前になされている。それは右制度の性質からいって当然のことである。

このような高等学校教育の制度的本質からくる高等学校入学許可申請の性質からすれば、処分庁は、年度カリキュラムにしたがって教育が受けられるよう(不許可者については、他の高等学校などで同一年度の教育カリキュラムを受けられるよう次の申請をすみやかに行えるよう)可及的すみやかに、右申請に応答する義務がある。

(三) よって、本件についていえば、相手方は、本件不許可処分の執行が停止された場合、処分庁として、処分の効力が停止されたまま新たな申請に対する応答をしないで本案判決がなされるのをまつことは、入学許可申請という性質上許されず、すみやかに執行停止の決定の趣旨に従って次の応答をしなければならないのである。

これを、原決定のように、処分の効力が停止されたまま新たな申請に対する応答をしないで本案判決がなされるのをまつことも可能であるとするならば、本案判決まで一年以上かかった場合、もはや平成三年度の第一学年の年間カリキュラムは終了し、その後に本案判決により本件処分が違法取消となったところで、抗告人のなした平成三年度の第一学年への入学許可申請を実現することは不能となり、右本案判決は画餅に帰することになり、その不合理さは歴然としている。

(四) なお、この点につき、現在本件高校においては、平成三年度の年間カリキュラムがすでに一学期を終了しており、今後、執行停止により相手方が新たに申請に対する応答をしたとしても、相手方が主張するように学年における授業日数の四分の一以上の欠席があるときは進級を認めないとすれば、結局、申立人は平成三年度第一学年の年間カリキュラムを終了し、次年度に第二学年に進級することはできないのではないかと疑われる。

しかし、そもそも高等学校の単位認定及び進級の認定については、学校教育法は、施行規則第六三条の二で、校長は、生徒の高等学校の全課程の終了を認めるに当たっては八〇単位以上を修得したものについて行わなければならない、と定めるのみで、その他の学年毎の単位認定数や進級の認定については何の定めもしておらず、校長の裁量に委ねている。

そして、各高等学校校長は、右裁量権の一環として単位認定、進級認定に関する内規を自らそれぞれ定めて運用しているのである。相手方提出〈書証番号略〉の本件高校の単位認定等に関する規定(抜粋)も、本件校長の権限に基づいて自ら定めた内規に過ぎない。

したがって、本件校長は、本件高校の生徒の進級について一般的には右規定に従って認定を行うとしても、これに拘束されるという性質のものではなく、他の教育的配慮や合理的な事由により右規定に反して進級認定をすることは本件校長の裁量権の行使として十分に可能である。

本件に即していえば、抗告人が相手方の違法な理由による入学不許可処分により所定の授業日数の出席ができなかったとしても、出席不能の原因が専ら相手方にあったわけであるから、入学許可後の抗告人の各教科の到達度などが単位認定される程度に達した場合などには、進級認定することができるのである。

実際、各地の現場の高等学校では、進級認定の内規を定めながらも、各生徒の具体的個別事情によっては、右内規にこだわらず弾力的・柔軟に進級認定を行っている。

抗告人は、本件処分の後も、本件高校に入学できる日がくることを信じ、同級生や本件高校有志教員の助力も得て、本件高校の教科を自習しており、入学後も、同級生に遅れることなく、勉学を続けることは可能な状況にある。

したがって、今からでも相手方が申立人に入学許可をなせば、本件校長が申立人に対し進級認定することは十分に期待できるのであり、執行停止による相手方の新たな応答の義務に何ら影響を与えるものではない。

3 そして、抗告人に対して相手方がなす新たな応答は、平成三年度兵庫県公立高等学校入学者選抜要綱に基づいて行われる以上、申立人に対する入学許可処分とならざるをえない。

すなわち、処分庁は入学許可申請に対する許可・不許可処分をなすについては、右要綱に覊束されるところ、原決定も認定しているように、要綱は、学力検査の結果(判定資料A)と調査書(判定資料C)を同等に取扱い、その際判定資料Bは参考として総合判定となるよう留意して合否を判定すると定めているが、申立人は、判定資料Aと判定資料Cとの合計点については合格ラインに達していたのであるが、判定資料Bその他の資料を基に身体的状況が高等学校の全課程を無事に履修する見込みがないという理由で不合格処分となったというのである。

とすれば、右不合格処分が違法であるとして、本件処分の執行が停止され、抗告人に対し、新たな応答をしなければならない場合、判定資料Bに右理由とは別に抗告人を不合格処分とする理由となる資料は存しないわけだから、その場合、合格ラインに達している判定資料Aと判定資料Cとの合計点に基づいて、入学許可処分をするほかにないのである。

したがって、原決定が、相手方が入学許可処分をする可能性を事実上のものととらえているのは大きな誤りであり、本件のような場合には、相手方が入学許可処分をする法的可能性は十分に存し、右に述べたようにむしろ法的必然性に近い。

4 以上述べてきたように、本件処分が執行停止された場合、相手方は、高等学校という学校教育機関への入学許可申請に対する応答という本件処分の性質上、可及的すみやかに抗告人に対する新たな応答をする義務を負い、そして相手方が覊束されるところの平成三年度兵庫県公立高等学校入学者選抜要綱により、それは、必然的に本件高校への入学許可処分となるのである。

したがって、本件処分の執行停止により、抗告人は単に入学志願者としての地位を回復するのではなく、すみやかに新たな処分庁の応答を受けえる地位、しかも要綱に基づき入学許可処分を受けえる地位を回復するのであり、本件執行停止によりこのような法的利益がある以上、ここに申立の利益があることは明白である。

三、抗告人の人格的不利益の回復について

1 原決定は、「申立人の受けた精神的、人格的な苦痛は相当のものであったということは容易に推測することができる」と認めておきながら、「その損害の回復は、本件高校の入学が許可されて初めて癒されるものである」として「不合格処分の効力が停止されるだけでは、申立人の入学を直ちに実現することができないのであるから、この点に、申立の利益をみとめることはできない」と述べる。

しかしながら、既に述べたように執行停止決定によって申立人は、本件高校への入学許可を受けうる地位を回復するのであって、執行停止だけでは申立人の入学を直ちに実現できないとは言えず、また以下に述べるように、申立人の人格的不利益の回復は、何年も先になる本訴の結論を待ってなされるのではなく、執行停止という早急な解決方法によって初めて回復されるものであるから、原決定にはこれらの点につき誤りがあり、失当である。以下、後者の点につき詳論する。

2 そもそも障害者にとって、障害を有することはそれ自体本人にとってどうすることもできない事情であるから、障害者は、障害を理由とした不当な差別を受けない権利(平等権)を有し、能力に応じてできるかぎりの教育の保証を受けるという権利(教育を受ける権利)を有することは、原審における意見書中で詳述したとおりである。

ところが、本件の相手方のように、抗告人の具体的障害を唯一の理由として入学不許可とすることは、抗告人に障害があることをもって、本件高校の生徒として不適格であることを公的に明らかにしたものであり、抗告人はこれにより不当な差別を受け、教育を受ける権利を奪われたことになるのである。

ところで、このような抗告人の基本的人権の侵害の面については、原決定のいうとおり本案判決をまって初めて回復されることになると言ってもよい。しかし本件処分により、付随的に不利益を受け、これを緊急に救済する必要があるのであれば、執行停止手続を利用する道を閉ざしてはならない。

3 抗告人は、専門家である医師の診断書によって高校生活三年間の履修は可能であるという診断も得、将来大学に進学して勉学を続けたいという将来の夢を叶えるために、本件高校を受験したものである。抗告人が受験に向けて健常者以上の努力をなし、障害を乗り越えようとした努力は、一般の健常者の想像を越えるものがある。相手方はこれらを全く顧慮せず、抗告人の障害を唯一の理由とし入学不許可としてしまったのものである。

抗告人は、本件処分によって、高校入学不適格の烙印を押され、全人格を否定されたと同様の扱いに対する悔しさ及び屈辱感、自分の努力が報われない苛立ち、自分の将来に対する絶望感、大人社会一般に対する不信感等、深刻かつ全般的な精神的苦悩を強いられている。このような精神的苦痛は、法的救済を与えられるべき、人格的不利益である。

このような程度及び範囲が深刻かつ全般的な人格的不利益については、数年先とならざるを得ない本案判決をまつのではなく、執行停止という仮の救済措置によって早急に救済される必要がある。

本件においては、抗告人の身体障害を理由とする入学不許可により、前記の人格的不利益は日々継続して発生しており、しかも抗告人が、進行性筋ジストロフィー(デュシェンヌ型)であるという特殊の障害であるところから、本件の解決が長期にわたるほど精神的苦悩の程度が高くなっていくことは避けられず、人格的不利益の回復が不可能になることは明白であり、極めて早急にこれを救済する必要がある。したがってこれは短期間で判断される執行停止の決定をもってのみ解決されるものである。

また、本件処分の効力を停止することは、それだけで自主的な解決の道が開かれるわけではないが、相手方に対しては絶好の再考の機会になり、何らかの解決策が当事者で確認できる可能性は十分にある。現に訴訟提起以前に当事者で話し合いがもたれていたのであるから、執行停止決定が自主的交渉の第一歩になることは間違いないと認められる。特に原決定が認定しているとおり、相手方が抗告人の障害を理由とした本件処分は違法なのであるから、本案訴訟においても同様の結論が予想されるので、相手方が再考する可能性は十分あると認められる。

4 さらに、障害を理由とする入学不許可処分が違法であるとして、執行停止の決定が出されれば、これによって抗告人は本来合格処分を受ける者であったと公的に追認されることになり、抗告人を理由なく不合格にした相手方の責任も広く明らかにされることになる。その結果として、障害を理由とした不利益処分の外形が、仮にであれ、払拭できることになる。

とするならば、抗告人の今までの努力や頑張りが間違いではなかったと認められることと同じ結果をもたらし、自分の努力が無駄ではなかったと実感でき、正しいことは必ず報われるという社会への信頼を取り戻すことができ、さらに相手方の責任を公にできたことによって自ら受けた屈辱感等が癒されることは明らかである。従って、以上のように抗告人が被った諸々の人格的不利益は回復されるのである。

5 以上から明らかなように、裁判所が執行停止決定をなすことによって、抗告人が本件処分により受けた人格的不利益の回復に資することになるのである。

別紙 (二)

一、拒否処分と執行停止

1 違法な処分の是正について、取消判決と執行停止決定とで決定的な相違がないというのは、抗告人の独断である。口頭弁論を経た上での判断と疎明資料による暫定的判断とが同一の効果をもたらすことはありえない。前者は、処分の効力を確定的に消滅させるのに反し、後者は、処分の効力を暫定的に停止するに過ぎないのである。

2 拒否処分に対する執行停止があると、その決定の拘束力によって、行政庁はその決定の趣旨を尊重し、急遽新たに判断をし直さなければならないとの抗告人の主張は、期待論ないし立法論としてはともかく、現行法体系下の法解釈としては失当である。

抗告人は、①執行停止決定によって拒否処分がなされていない状態になるから、行政庁としては、申請に対する許否いずれかの応答をし直さなければならない。②その応答は、決定の趣旨に従ってなされなければならない。③右のような効果が執行停止決定にあり、しかも、本件不許可処分の特殊性からして、本件申立て事件については、申立の利益があるとする。そして、本件不許可処分の特殊性として、本件不許可処分に係る申請は、「本件高校の平成三年度の第一学年に予定される年間教育カリキュラムに従って、同学年に属する他の生徒とともに学習することの許可を求める申請」であるから、平成三年度の第一学年の年間カリキュラムが終了してしまっては、抗告人の右申請の実現が不能になってしまうことを挙げる。

執行停止の効果は、本件不許可処分の「効力」が本案確定時まで「停止される」だけであって、原決定も指摘するように、処分自体はなお存在しているのである(原決定六丁裏二行目、一四丁表一行目)。執行停止決定には、暫定的にも、処分の効力を消滅させる効果はないから、申請に対する許否いずれかの応答をし直さなければならないわけではない。行政事件訴訟法第三三条第三項が執行停止について同条第一項だけを準用し、同条第二項を準用してない理由もここにあるのである。申請に対する拒否処分が取り消された場合には、その申請に対する応答(拒否処分)がないことになるので、取消判決を実効あらしめるため、その拘束力として第三三条第二項が置かれているのである。もし執行停止に処分自体を消滅させる効果があるとすれば、そもそも本案訴訟の訴えの利益がなくなるといわねばならないし、仮にこれに訴えの利益を認めるにしても、本案訴訟で行政庁の勝訴が確定した場合、原処分は既に消滅してしまっている以上、勝訴判決は行政庁にとって何ら意味のないものになってしまうからである。

現行行政事件訴訟法が執行停止につき右のような制度を採用している以上、執行停止決定によって、「急遽新たに判断をし直さなければならない」、「申請に対する許否いずれかの応答をし直さなければならない」ことを前提とする抗告人の主張が失当であることは明らかである。

3 このことは、抗告人がいう「本件不許可処分の特殊性」があっても何ら変るところはない。抗告人が「本件不許可処分の特殊性」を持ち出したのは、執行停止という仮救済が期待できなければ、結局、抗告人の救済の機会が全く失われることになることを理由とするもののようである。しかし、本件不許可処分に係る申請が抗告人の主張のようなものだとは考えられない。この理でゆけば、平成四年度になれば、本案の訴えの利益も消滅することになる。この点は暫く置くとしても、執行停止が認められても、これによって相手方に何らの法的義務が生じないことは右に述べたとおりであるし、また、相手方としても任意に本件拒否処分を取消し、入学許可をする考えはない。

4 そもそも現時点においては、既に平成三年度の総授業日数の四割が経過してしまっており、本件高校への入学許可自体最早なしえない時期になっている。この点に関し、抗告人は、授業日数の四分の一以上の欠席があれば進級できないという内規は、相手方の裁量によってこれに反する取扱いも可能だという。しかし、この内規は、教職員は勿論、生徒にも示されており、本件高校の管理運営に関する規範である。この規範を定めた相手方といえどもこれに拘束されるのは明らかである。この規範の定めに違背し、それゆえに、仮に入学させたとしても全く進級が望めない抗告人をこの規範に反してまで入学させうるほど広い裁量権が相手方にあるとするなら、本件不許可処分も当然に裁量の範囲内にあることになり、本案について理由がないことが明らかであるから本件執行停止の申立は、この点においても却下されなければならない。

5 以上の次第であって、本件不許可処分の執行停止について申立の利益がないことは明らかである。

二、人格不利益の回復について

1 本件不許可処分の正当性

抗告人は違法な本件不許可処分により人格的不利益を被ったと主張する。

抗告人は、本件不許可処分は抗告人の身体的障害を唯一の理由として行われたものであり、抗告人に障害があることをもって教育を受ける権利を奪ったのであるから本件不許可処分は違法であると断じている。

しかしながら、本件不許可処分は、抗告人に障害があることだけを問題として行われたものではなく、抗告人の障害の特性とその程度、高等学校の受入れ態勢などを総合的に判断した結果、行われたものである。

そもそも、教育を受ける権利とは、抗告人も認めるとおり「能力に応じてできるかぎりの教育の保障を受ける権利」なのであるから、その能力如何によっては異なった教育の機会が与えられることが認められているのである。これを障害者についてみるならば、障害者にとっての教育を受ける権利は当然に普通高校で教育を受ける機会が与えられることを意味するのではなく、障害者が有する特性と程度によっては普通高校で教育が受けられないこともあり得るのである。

抗告人は、「能力」すなわち学力と理解するかのようであるが、誤りである。「能力」の中には当然のことながら身体的能力も含まれる。しかしながら身体的能力の点で劣る者であっても、等しく教育を受ける権利があり、この権利実現のために養護学校が設置されているのである。

抗告人は、兵庫県及び文部省の調査結果を示し、独り相手方のみが時代の流れ、更には、文部省の指導に反し、障害者の受入れを拒んでいるかの如く主張する。しかし、文部省平成二年度の学校基本調査によれば、平成二年三月に中学校の障害児学級を卒業した一万三七二人の生徒のうち、普通高校に進学した者は、一七五一人と二割にも満たない数字を示している(〈書証番号略〉)。さらに言えば、これらの数は、学校教育法第七五条第一項各号に掲げる者の数であって、その中には、肢体不自由者だけでなく、身体虚弱者、弱視者、難聴者等も含まれており、抗告人と同程度の障害を持つ者の数ではないことは明らかである。

抗告人が掲げるこれらの数字は、障害者にとっての教育を受ける権利の内容としては、普通高校で教育を受けることが全てではないことを如実に物語っているのである。

抗告人自身も「全ての障害児を普通高校へといった単純で固定的なことが全てというわけではない」といい、さらに「養護学校や障害児学級の必要性も現状においては否定できない」と、障害者が有する障害の特性及び程度如何によっては普通高校で教育が受けられないこともあり得ることを認めているのである。

抗告人は、本件不許可処分を障害者の教育を受ける権利を奪う違法なものと断ずる論拠として専門医である医師の診断を挙げている。なるほど右診断によれば「内科的診察では呼吸不全、心不全を示す徴候はみられず、就学可能と考えます」とされている。しかし、これは入学の許否処分の前提となる合否判定を行う上で、ひとつの判断材料となるものにすぎない。すなわち、抗告人の障害に関する右診断は、医学的見解の範囲にとどまるものであり、抗告人に普通高校において三年間の教育課程を履修できるだけの客観的事情が存するかどうかのさらなる教育的判断が必要となるわけである。

右教育的判断は、高等学校への入学に関して、入学の許否処分の権限及びその前提となる入学者の選抜の権限を有する校長が行うことになるのである(学校教育法施行規則第五九条)。

高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて高等普通教育及び専門教育を施すことを目的としている(学校教育法第四一条)。

この規定は、直接には、生徒の心身の発達に応じて教育を施すことを規定するものではあるが、高等学校においては、中学校を卒業したおよそ一五歳から一八歳ぐらいまでの者の平均的な心身の発達度を基準に置いて教育が施されることが予定されているのである。すなわち、高等学校においては、高等学校教育及び専門教育を施すに足りる程度の心身の発達が要求されているといえるのである。

したがって、校長が入学の許否処分を行うに当たっては、入学志願者が高等学校における教育目的を達成するために必要と思料される能力、適性等を有するか否か、換言すれば、心身が三年間の就学に耐えうるのか、高等学校の教育課程を履修できる見込みがあるかを教育的見地に立って総合的に判断すべきものであり、これは、いわゆる自由裁量行為に属する(和歌山地判昭和四八・三・三〇、大分地判昭和六二・二・二三及びその控訴審福岡高判昭和六三・五・三一)。

本件高校を含む尼崎学区に属する高等学校への入学は、兵庫県公立高等学校入学者選抜要綱(以下「要綱」という。)及び要綱第一〇一項の別途指示により総合選抜制度がとられている。この制度によれば、相手方を含む八人の関係高等学校長により構成される合否判定委員会が尼崎学区全体の合格者を、次いで本件高校を含む八校の合格者を決定し、この決定に従い八人の校長がそれぞれ自校の入学許否の処分を行うことになっている。

入学者の選抜に関し、合否の判定を合否判定委員会によらしめているのは、入学許否処分の妥当性を確保することにある。

本件不許可処分は、右に述べたように右合否判定委員会の合否判定に従い相手方が行ったものであり、また、右合否判定においては、原審における意見書で述べたとおり、抗告人の病気の特性、障害の程度、学校の受入れ態勢を考慮して、高等学校での教育課程の履修が可能かどうかを教育的見地から総合的かつ合理的に判断されており、高等学校への入学に関し、校長に与えられた裁量権の範囲を逸脱するところはなく、違法の問題が生ずる余地はないのである。

したがって、本件執行停止の申立ては本案について理由がないとみえるときに該当するのであり、却下を免れない。

2 申立の利益

抗告人は、本件不許可処分によって、深刻かつ全般的な人格的不利益を被っており、このような人格的不利益については、本案判決をまつのではなく、執行停止という仮の救済措置によって早急に救済される必要がある旨主張する。

そして、抗告人は、執行停止によって、自分の努力が無駄でなかったことを実感でき、正しいことは必ず報われるという社会への信頼を取り戻すことができ、さらに自ら受けた屈辱感等が癒されることになり、人格的不利益は回復されるという。

原決定も指摘するとおり、人格的不利益の回復は、本件高校への入学が許可されて初めて癒されるものであるところ、不許可処分の効力が停止されるだけでは抗告人の入学を直ちに実現できないのであり、また、前記一で述べたとおり相手方としても、執行停止が認められても、任意に本件不許可処分を取消し、入学許可をする考えはないのであるから、執行停止の申立てが認容されても、抗告人に現実的救済が与えられる状況はない。

したがって、人格的不利益の回復という視点をもってしても、本件執行停止の申立てに申立ての利益を認めることはできないのであり、この点においても、本件執行停止の申立は、却下されなければならない。

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